民俗学者としてのハーン

 昨日、鶴崎文化研究会の皆さんと一緒に小峰墓地を訪れ、久しぶりに鼻欠け地蔵のご尊顔を拝した。見ながらどうしてもラフカディオ・ハーンの顔が浮かぶ。帰宅した後、数年前、小泉八雲熊本旧居を訪れた時にいただいた資料を読みたくなって、いくつかの資料のうち「民俗学者としてのラフカディオ・ハーン(小泉凡)」を手にとった。一度通読しているはずなのだが、ほとんど初見のように読み進めた。
 ハーンは日本に来る前から異文化に対する興味は強かったようだ。日本の前にアメリカと西インド諸島で20年ほど暮らしているが、中でもニューオリンズにいた10年ほどの間には周辺地域の民謡や習俗の採集を行ないメディアで発表していたという。今日のジャズのもととなったクレオールの民俗音楽も採集して発表している。また、幼い頃の事故がもとで左目を失明したハーンは、音に対して鋭敏だったそうで、彼の作品には聴覚でとらえた記述が多く、その鋭い聴覚でとらえた日本の音、日本人の声、日本の音楽などを通じて日本人や日本の文化を理解しようとしたのだろう。

ニューオリンズ時代に採集した黒人たちの歌の一つ「Liza Jane」(歌うのはNina Simone


自ら英訳して欧米に紹介した千葉県銚子の民謡「Song of Fisherman(銚子大漁節)」